右手は、まだ他の人格のようです。しかし、今時々、右手でドアチェーンを閉めてみます。
倒れてから1年は右手でドアチェーンを閉めようなんて頭にも浮かびませんでした。2年が過ぎたころ、始めてドアチェーンを右手で閉めてみようかと思ったのです。何事も、頭で思い描き始めるのが「出発」なのですね。
2年半ごろ初めて右手がドアチェーンを閉めたのです。
その時思わず「おや!右手、自分の仕事をしたじゃないか。」と言ってしまいました。
初めて、右手が壁や手摺りをつかんだ時も、何気なく右手がイチゴを口に持っていこうとした時も、思わず「おい右手!」と言っていました。
3年経ったころに、右側の認識が弱かった私の脳に変化が起きてきたのでしょう。
しかし、まだ右手で字は書けません。
字を書くという行為は、人間だけに与えられた、難しい行為なのですね。
末端の神経と脳の神経がものすごく速い速度で交信している。
指先が安定している。
平行な線が持続的に引ける。
手首が自由に回る。
など、多くの機能が重なって可能となる、とても精密な動きなのです。
ふと「後半の人生は左利きかな。」とも思うのですが、まだ右利きがあきらめ切れません。
食べ物はやはり利き手で食べるほうが美味しいし、支えたり、傾けたり、かわしたりという左手の役割は、右手ではうまく出来ないものなのです。